東京高等裁判所 昭和60年(う)1289号 判決
所論は,要するに,原判決は,「被告人は,その化学薬品と称するものが,人体に有害な麻薬・覚せい剤に類するものか,あるいは台湾の一部で迷幻薬と呼ばれているものではないかと察するに至ったのに,覚せい剤であってもこれを不正に密輸する意図があった」と認定しているが,被告人は,王吉祥から「禁制品の化学薬品を日本に運んでもらいたい。税関で発見されても,没収されるだけで捕まることはない。」という趣旨の依頼を受け,これを信じて密輸入したものであって,本件密輸入品が覚せい剤であることの確定的認識も概括的認識も有しなかったのであるから,原判決は事実を誤認したものである,というのである。
しかし,原審及び当審において取り調べた証拠によれば,この点に関する原判決の認定は正当であることが認められる。
すなわち,一般に,被告人のように,密輸入品を自己の両腕,両足首,腰廻り等にゴムバンドやベルトで固定し,その上をジヤンバーやズボンで覆うなど,ことさらに手の込んだ偽装を施して携行した者は,合理性をもつ特段の反証のない限り,当該密輸入に深くかかわり,その品物の実体を確定的ないし未必的に認識していたという強い推定を受けるのが当然であるが,本件では,右のほか,①密輸入品の包装が透明なビニール袋であって,被告人は,密輸入品が無色透明(白色ないし多少黄濁)の結晶状粉末であることを知っていたこと,②被告人は,日本における連絡先の電話番号を暗号化してメモに記載するという慎重な方法をとっていること,③被告人に密輸入を依頼した者らが,自ら密輸品を携行することが経済的であり物理的にも可能であるのに,自らは携行せず,報酬を支払うという不経済な方法をとってまで被告人にこれを携行させたことを,被告人も知っていたこと,④本件の数か月前に,台湾において密造された覚せい剤(安非他命)が,史上最大の規模で,日本に密輸入され,その犯人として台湾人が日本及び台湾でそれぞれ検挙されたというニユース,右事件の運び屋はドミニカ共和国の台湾駐在大使であった嫌疑が強まり,同大使が本国に召還されたというニユース,右事件の覚せい剤の密造工場が台北市や基隆市にあって摘発されたというニユース等が,台湾においても,相次いで華々しく報道され,台湾が覚せい剤の有力な密造地であり,覚せい剤の日本への密輸入の有力な基地となっていることや,覚せい剤の一般的形状,性質は,台湾においても広く知られるに至っていること,⑤当公判廷における被告人の供述態度・内容,記録上認められる被告人の海外渡航頻度,海外で新しいデザインの洋服を見たり仕入れたりするという被告人の職業などを総合すると,被告人の知能は明敏で弁舌も巧みであり,内外の世事に関する知議もかなり広範であると認められ,たとえ,被告人がしばしば香港に渡航し,台湾に居ない日があったとしても,台湾において大きく報道され,一般に広く知られた,台北市及び基隆市における覚せい剤の密造,日本に向けたその密輸出の状況,台湾及び日本におけるその検挙の状況,覚せい剤の形状・性質等について,被告人が全く無知であったとは到底認められないこと,などの事情が存する。
したがって,仮に,被告人が王吉祥から「この品物は,工場で使用される化学薬品で,日本に持ち込んではならない禁制品だが,日本の税関で発見されても没収されるだけで,被告人が逮捕されることはない。」と説明されたという弁解が真実であるとしても,被告人がたやすくこれを信用し,特段の詮索・反論もせず,言われたとおりの品物であると考えていたとは,到底認め難く,結局,被告人が本件密輸入に深く係わり,覚せい剤であることを確定的又は未必的に認識しながらあえてその運搬を引き受けたという前記推定は,何ら揺らぐことはないというべきである。